終章

〜其の壱〜

平成15年9月26日。対ダイエーホークス七回戦。

一回表。相手のフィルダースチョイスもあり無死一・二塁。
しかし三番金本・四番檜山があえなく凡退。

対する一回裏、マウンドにはエース井川慶ではなくトレイ・ムーアがいた。
そもそも前日もムーアでなく伊良部秀輝がいた。
悔いを残さないためには、井川の左腕しかなかった。
最後に監督は情が働いたのかも知れない。

期せずして同じく無死一・二塁。
四番松中の先制打でダイエーが二点先行。

これがこの日の全てだった…。

『阪神優勝計画』というページを立ち上げて早八年。

この間最下位が五度、五位が一度、去年の四位が最高位。

…そして今年。

この日福岡ドームにはもう十年来見慣れた阪神が戦っていた。




何か懐かしかった…。




…お帰り。




そして束の間の夢をありがとう…。


〜其の弐〜

平成15年11月3日午前八時半。自分は大阪御堂筋にいた。

九時半頃から降り出した雨は十時三十分頃には土砂降りに。

大阪の街が泣いていた。
星野監督が満面の笑みで微笑んでいた…。




…それだけでよかった。




この日御堂筋と神戸の元町にはのべ65万人もの人が集まったという…。

阪神の奮闘1999