1985年10月16日。そう、あれは今から16年前…。
神宮球場に吉田監督が舞った。掛布が舞った。バースが舞った。岡田が舞った。川籐が舞った…。
あれから16年…。
史上最強の助っ人、ランディ・バースが去った。
ミスター・タイガース、掛布雅之が去った。
ひょっとこ岡田彰布が去った。
あの日神宮のマウンドで抱き合った、中西清起も木戸克彦も去った。
そして今年の10月1日には、その時新人だった最後のV戦士、和田豊が去った。
2001年10月16日。その年、12年振りにパ・リーグを制した大阪近鉄バファローズから湯舟敏郎以下七選手に
戦力外通告が出された…。
全盛期、力投しても打線の援護無く、優勝を経験することなく阪神を去った湯舟。
打のチームに移籍し、そのチームは優勝した…。今年37試合に登板、1勝0敗。
近年最下位、良くて五位の阪神タイガースが大躍進し、二位になった1992年でさえ、もう9年前…。
あの年、入団二年目の湯舟敏郎はノーヒット・ノーランを達成した。
あの日僕の学校は一年に一度の対校試合の日だった。
対校戦が終わり、相手校からの帰り掛け、友人(A少年)がラジオを聞いていた。「湯舟が六回までノーヒットピッチング!!」。
その言葉に、一緒にいた数人はラジオに噛り付いた。阪急電車の中でもラジオに聞き耳を立てていた。
そしてJR大阪駅南口のターミナル前、大記録の達成を知った…。
嬉しくて思わず向かいの阪神百貨店のタイガースショップに行った…。
その時から、それまで「変わった名前のピッチャー」の認識しかなかった投手のファンになった。
かなりの阪神ファンにもなった。何度も甲子園に通った。
葛西の巨人戦三連続被ツーランという珍記録や野田の復活勝利も見た。
今は共に縦縞のユニフォームを着ている野村監督の率いるヤクルトとの延長戦の、
広澤のサヨナラトンネルを見届け、電車がなくなって家に帰れないこともあった。
あの時の主力からトーマス・オマリーが、ジェームズ・パチョレックが、亀山努が久慈照嘉が去った。 仲田幸二が野田浩司が、猪俣隆が、田村勤が、去った。僅かに、葛西稔、中込伸、山田勝彦、八木裕が残るのみ。 しかし皆もう主力とは言えない…。
今年、この10年間、湯舟以降まともな先発左腕がいなかった阪神に久し振りに期待できる投手が現れた。 井川慶…。のらりくらりの湯舟と全く違う、真っ向勝負の力投型だ。
今、あの僕が共に戦った、一つの時代が終わろうとしている…。
18th Oct. 2001